まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。
詩編31編6節

神様に対する激しい嘆き、訴えで始まり、最終的に、神様に対する信頼に至るという、非常に振幅の激しい詩編です。

ゆだねる
長いトンネルの中を通っているように思える状況を通りながら、この詩編の作者は、どのようにして最終的に神様に対する信頼に至ることができたのでしょうか。それは、神様にゆだねることを通してです(6)。「ゆだねる」、それは、「現実逃避」ではありません。正しく「ゆだねる」ことを通して、わたしたちは、人生を力強く生きることができるのです。

手放す
第二に、それは、手放すことを学ぶことを通してです。「主よ、わたしはなお、あなたに信頼し 『あなたこそわたしの神』と申します。」(15)「ゆだねる」という信仰の科目とともに、もう一つたいせつな科目、それは、「手放す」という科目です。わたしたちは、別な意味での偶像をつくり出してしまう、ということがあります。それは、神様はこういうお方で、当然自分に対してこのようにしていただけるはずだ、という自分の思いを神様に押し付けるという偶像です。神様を信じる。それは、そのような自分の思い、偶像を手放して、神を神とするということです。

ときの感覚
第三に、神様のときの感覚を身につけることを通してです。「わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助けてください。」(16)サタン、悪魔は、「とき」「時間」ということを用いて、わたしたちをがんじがらめにしようとします。すなわち、「過ぎ越し苦労」ということです。逆に、「取り越し苦労」ということです。神様にゆだね、手放すということを学んで行くとき、わたしたちは、神様のときの流れの中で、ものごとをとらえ、考え、行動する者と変えられて行くのです。

そして、わたしたちは、イエス・キリストにあって、この詩編の作者より、もっと確かに、神様に信頼することができるのです。

(前川隆一牧師)

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