そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」                 ルカによる福音書18章42節
 

イエス様による三度目の死と復活の予告(31~34)、エリコに近づかれたときにイエス様が一人の目の見えない人をいやされたできごと(35~43)です。

目が見えるようになりたいのです
後半の部分、エリコに近づかれたとき、イエス様は道端で物乞いをしている目が見えない一人の男、バルティマイと出会われました(マルコ10:46)。イエス様が立ち止まって、「なにをしてほしいのか」とお尋ねになると、彼は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と答えました。このバルティマイの祈りにも似た願いに、注目したいと思います。それは、結晶化された祈りであり、願いでした。

あなたの信仰があなたを救った
「主よ、目が見えるようになりたいのです」とバルティマイは答えました。そのバルティマイに向かって、イエス様は、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。この「あなたの信仰があなたを救った」とは、何を意味しているのでしょうか。それは、イエス様との人格的なつながりを確認し、信頼し続けること、それが「信仰」ということです。バルティマイは、イエス様との人格的なつながりができて、イエス様に従って行く人とされました。そして、イエス様に従って、エルサレムに入ったバルティマイが見たもの、それは、イエス様の十字架のできごとでした。バルティマイは、肉眼の目が見えるようにされました。それとともに、いやそれよりももっとたいせつなことは、霊の目が開かれ、イエス様を十字架で自分の罪を贖って下さる救い主として信じた、ということでした。

「分からなかった」「隠されていた」「理解できなかった」
そして、今日の前半に戻り、弟子たちは、イエス様の話されることが「分からなかった」「隠されていた」「理解でき」ませんでした。その弟子たちが、分かる日がやってきます。理解する日がやってきます。自分自身が罪人であるということ、メシアが代わって苦しみを受け、代わって贖いをして下さらなければどうしようもない自分自身が見えるようになって、聖書も見えるようにされたのです。

(前川隆一牧師)