天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。 マルコ13章31節
「人の子が来る」と表題の付けられている部分、そして、「いちじくの木の教え」と表題のつけられている部分です。
キリストのことばに立つ
「イエス・キリストがすでに来られた」ということと、「再臨の主としてはいまだ来ておられない」という「すでに」と「いまだ」という緊張関係の中で生かされている、それが実は、今わたしたちが行かされているこの時代です。そして、そのような「すでに」と「いまだ」という緊張関係の中で、わたしたちがどのように生きるように招かれているのか、それが今日の福音書の内容なのです。その中心は「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(31)と言われている、「わたしの言葉」すなわち、「キリストの言葉」に対して、わたしたちがどのような態度を取って行くのか、ということなのです。
キリストのことばに生きる
とともに、キリストのことばに生きるということが、強調されています。ルターのことばとされながら、ルターの語録のどこを探しても見当たらない不思議なことばがあります。それは、「たとえ明日世界が滅亡しようとも、わたしは今日、りんごの木を植える」ということばです。行いによって義とされようとするなら、脅迫的になるか、あきらめてしまうかどちらかです。信仰により義とされた者だけが、落ち着いて今日与えられたことを忠実に果たして行くことができるのです(テサロニケの信徒への手紙第一4章11節)。
キリストのことばをあかしする
そして、キリストのことばをあかしするように、わたしたちは招かれています。わたしたちがキリストのことばをあかしし、実を結ぶなら、その実は残る。永遠に残ると言われています(ヨハネ15章16節)。何と光栄なことでしょうか。いよいよ、終わりのときが近いことを予感させる今日、このごろ、いよいよそのように歩ませていただきたいと思います。
(前川隆一牧師)