しかし、アブラハムは言った、「お前たちの兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」 ルカ16章29節
「金持ちとラザロ」という表題のつけられているイエス様のたとえ話です。
神の声を聴く
このたとえの急所、それは、29節です。聖書を通して、語りかけておられる神のことばを聴いているか。そう問いかけている、それが、今日の箇所です。そして、もう一つたいせつなこと、それは、このたとえ話は、直接的には、ファリサイ人や律法学者、当時の宗教的指導者に対して語られたたとえ話であるということです。律法学者、ファリサイ人よ、あなたがたは、聖書を持っていると言っている。けれども、聖書を通して、語りかけておられる神のことばを聴いていないではないか。そう語りかけている。それが、今日の聖書の箇所であるということです。
終わりの時代に
神様は、わたしたち人間に語りかけられる神様です。そして、時満ちて、救い主イエス・キリストがお生まれになった。それは、神がわたしたち人間に語りかけられたできごとである、と聖書は語っています(ヘブライ人への手紙1章1~3節)。「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのから、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れないだろう」このアブラハムのことばを反故にして、死者の中から復活された、それが、わたしたちの主イエス・キリストでした。
ラザロ
最後に、今日の箇所で、どうしても覚えなければならないこと、それは、「ラザロ」という名前です。「ラザロ」という名前の意味です。それは、「神の助けなくして、生き得ぬ者」という意味の名前です。「神の助けなくして生き得ぬ者」そう認めて、イエス・キリストをわたしの救い主と信じ、受け入れる。その者の罪を赦し、神の子とし、永遠の命を受け継ぐ者と主はして下さるのです。そして、そのことこそ、御子キリストを通して、語りかけておられる神様の声を聴く。声に聴き従うということなのです。
(前川隆一牧師)