管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙第一4章10節
「タラントン」のたとえ、そう表題のつけられている箇所です。
僕
このたとえ話は、イエス様が、わたしたちがいのちをいかに用いるかということについてお教えになったたとえ話です。第一に、「僕たちを呼んで」そう言われています。このたとえの主人、それは、明らかに父なる神様のことを表しています。そうすると、わたしたちのことが、主人に仕える僕にたとえられているということが分かります。
タラントン
わたしたちは、神様の僕です。とともに、忘れてならない。それは、タラントンを預かったということです。わたしたちは、父なる神様の僕です。とともに、神様から信頼され、自由が与えられ、期待されている存在、それが、わたしたちであるということです。
まちがったイメージ
第三に、このたとえの1タラントンを預かった僕、彼は、どうして、そのタラントンを取り上げられた上で、外の暗闇に追い出してしまったのでしょうか。主人は、彼の何を、これほど怒ったのでしょうか。主人は、この僕の心に腹を立てたのでした。もっと言えば、主人に対する信頼のなさ、主人に対するまちがったイメージに、主人は怒ったのでした。この僕が、主人のことを、計算高い主人、一点のまちがいもゆるさない主人、どんな小さな失敗に対しても厳罰をもって臨む主人という誤ったイメージをもって、冒険しなかった。何もしなかった。そのことに、主人は、怒ったのでした。そして、神様は、そのようなお方ではないということを見える仕方で示された、それが、キリストの十字架のできごとなのです。わたしたちは、キリストの十字架に表された神様の愛に押し出されて、神様のみこころに添って、与えられたタラントン、命を、賜物を、時間を精いっぱい用いて、神と人とに仕えて行くようにと召されているのです。
(前川隆一牧師)