こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。 ヘブライ人への手紙12章1節
信仰生活が、マラソンにたとえられている12章の最初の部分です。
シンプルに
その信仰というレースを走り抜くためにたいせつにすべきこと、それは、第一に、シンプルになるということです。「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて」ということが言われています。マラソンを走るのに、重い荷物を背負って走る人はいません。身軽になって、何も持たずに走ります。同じように、わたしたちが、信仰のレースを走る。そのときに、身軽になるということがたいせつです。
正しいコースを
第二に、わたしたちが信仰というレースを走り抜くためにたいせつにすべきこと、それは、正しいコースを走るということです。マラソンのレースにおいて、そんなことはほとんどないように思いますが、それでもときどき、ランナーがコースをまちがえて、別の道を走り込んでしまうということがあります。わたしたちも、正しいコースを走り、走り続ける必要があります。「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(2)わたしたちの前をイエス様が走って下さっている。その背中を見つめることを通して、わたしたちは、正しいコースを走り続けることができるということです。
声援を追い風に
第三に、わたしたちが信仰というレースを走り抜くためにたいせつにすべきこと、それは、声援を受ける。励ましを受ける、ということです。わたしたちは、ともに集まる信仰の交わりを通して励ましを受けることができます。また、「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上」と言われています。おびただしい信仰の先輩が、天において声援を送ってくれているのです。ヘブライ人への手紙11章には、そのようなわたしたちの先達、信仰をもって歩んだ旧約の信仰者列伝と言えるものを書き記しています。この信仰者列伝を通して、わたしたちも大きな励ましをいただくことができるのです。
(前川隆一牧師)