これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子ヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師となる。」                     ルカによる福音書5810
 
シモンの舟の上から湖岸の群衆に向かって教えられた後、イエス様はシモンに「沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい」と言われました。
 
疲れ、失望する心を力づける御言葉
夜通し苦労して働いても何もとれなかったシモンには断る理由が十分ありましたが、姑を癒されたイエス様の言葉に従いました。また、イエス様が群衆に語られた御言葉は、同じ舟にいたシモンの、疲れて失望落胆した心に響いていたでしょう。一番近くで御言葉を聞くようにと、イエス様がシモンを導かれたのです。始めは神様に愚痴をこぼし、不満を訴えていた詩編の詩人が、終わりには神様を信頼し、賛美する者へと変えられていったように(13編等)、生ける神様の御言葉は、厳しい現実の中で折れかけた心を生かし、力づけます。
 
人の罪意識を照らし出す神様の光
網を下した結果、おびただしい大漁の奇跡を体験したシモン・ペトロは、イエス様の大きな力と聖さを前に、畏れ、ひれ伏します。イエス様の言葉に従ったものの、自信家のペトロの心の中には疑いやプライドもあったでしょうが、この人知を超えたお方はそれも全て見通されると感じたのです。人がイエス様に近づくほど、神であられるイエス様の光が人の罪深さを照らし出します。旧約の預言者イザヤも自分の唇の罪に絶望しました(イザヤ書6章)。しかし、イエス様は「恐れることはない」と言われます。イエス様こそ、人を罪から救う救い主であるからです。イエス様は十字架上で私たちの全ての罪を背負い、罪の赦しを与え、罪の重荷とその裁きから解放してくださいました。それゆえ、自分の罪を認めて、神様との正しい関係に導き入れられた人は、新しい命に生かされていきます。
 
新しい使命に人を生かす御言葉
さらにイエス様は、ペトロに「人間をとる漁師」という新しい使命を与えられました。クリスチャンは皆イエス様の弟子です(マタイ28:19)。私たちもイエス様の招きに答えて沖へ踏み出し、イエス様と共に歩みましょう。置かれた場所でイエス様の命と愛に生かされて、出会う人々を生かす者とならせていただきましょう。

(松田朋子神学生)