そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように』」 ルカ11章2節
「主の祈り」の原型と言える祈りを含む、祈りについて教えられている箇所です。
父よ
2節に、こう言われています。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ』」これは、原文では、「アッバ」、幼児が父親に向かって呼びかける「お父ちゃん」という呼びかけのことばです。わたしたちは、罪深い者、いい加減な者です。でも、そんなわたしたちではあっても、キリストを信じるわたしたちを神様は神の子と見て下さるのです。そして、喜んで、わたしたちの祈りに耳を傾けて下さるのです。わたしたちは、「父よ」と信頼をもって神様に呼びかけるようにと招かれているのです。
御名によって
第二に、5~8節のたとえの部分。8節の「しつように頼む」という部分ですが、「恥知らずに頼む」、そう訳してもよいことばが使われています。そうすると、恥知らずに願い続けるということになります。とともに、原文では、熱心に頼まれているにも関わらず、断るとしたら、恥知らずなことになってしまう。そのような解釈も可能です。そのような神様の誠実さにかけて願う。それが、祈りであるということです。そしてそれは、キリストの名によって祈るということでもあります。
聖霊
第三に、9~13節のたとえに続く祈りについての教えの部分。その最後に、こう言われています(13)。「このように、あなたがたは悪いものでありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」よきものの最たるもの、それは、聖霊である、と言われています。神様が創造されたもの、それは、曲線に満ちています。そして、神様によって導かれるわたしたちの人生もまた、曲線に満ちています。そんな曲線の人生を通して、わたしたちは、神様の訓練を受け、知恵深く、忍耐強く、また、あわれみ深い者としていただくのです。そんなわたしたちの人生の歩みの中で、わたしたちの思いを受け留め、励まし、人生の全体を導いて下さる、それが、聖霊なのです。
(前川隆一牧師)