そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。 ルカ4章21節
イエス様が、ご自身、安息を与ええるために、解放を与えるためにお出でになった救い主であると宣言なさったできごとです。
聖霊によって
今わたしたちが生きているこの時代と、このできごととはどうかかわっているのでしょうか。それは、ここに、今日わたしたちが行っている礼拝の原型を見て取ることができるということです。二つのことに注目する必要があります。一つは、言うまでもないことですが、イエス様が、聖書のみことばを朗読されたということです。そして、みことばから勧めをされたということです。もう一つのこと、それは、イエス様は、聖霊によって、みことばを説き明かされたということです。
中心
イエス様は、ナザレの会堂において、みことばを説き明かされました。聖霊によって、みことばを説き明かされました。では、その説き明かしの中心は何であったのか。それは、最初に申し上げました通り、安息ということであり、解放ということでした。では、何によって、人々に安息を与え、解放を与えようとなさったのでしょうか。それは、十字架で死ぬことを通して、わたしたちの罪を解決し、わたしたちに安息と解放を与えようとなさったのでした。
わたしたちに求められていること
では、最後に、そのような礼拝において、わたしたちは何が求められているのでしょうか。21節で、「実現した」と言われている、それは、「関わりにおいて実現した」という意味の言葉が使われています。イエス様がお出でになった。それは、わたしという人間と深くかかわっています。イエス・キリストというお方の前で、悔い改める。悔い改めて、キリストを信じる。そのことを通して、イエス・キリストを通してもたらされた福音、よき訪れを、わたしたちは、わがものとすることができるのです。罪を認め、悔い改めて、キリストを信じる。それが、礼拝のときであるのです。
(前川隆一牧師)