マタイによる福音書25章31節―46節

主イエスはオリーブ山で、世の終末と最後の裁きについて語られました。人の子は民衆に実にさげすまれた姿で十字架に向われましたが、やがて時が来ると天使たちをひきつれ、栄光をまとって再臨されます。そのとき、全ての人が主の前に集められ、羊飼いが羊と山羊を分けるように、右と左に選り分けられるのです。右のものには神の国を受け継ぐ祝福が与えられ、左のものは永遠の火に投げ入れられます。救いの完成と滅びの選別が行われるのです。主の再臨がいつのことかは私たちには明らかにされていませんが、救いにあずかっている私たちはその完成のときには主の前にたたされるのです。だから目を覚ましていましょう。『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(25:40)わたしの兄弟であるこの最も小さい者とは、実際に私たちの目の前にいて、助けを必要としている、困難のなかにあるすべての人を指していると受け取るべきでしょう。その人々にどう関わったのかが最終的に神の前で問われることなのです。もちろん私たちの救いは行いによるのではなく、信じる信仰によるもので、ただ恵みによります。しかし、もし私たちが神の恵みによって救いに預かっているならば、隣人の、あるいは兄弟姉妹の小さな必要に答えないで済むでしょうか?

心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛することが第一の戒めであり、これと同じように重要な戒めが、隣人を自分のように愛することだと書かれています。来週から降誕節を迎えますが、救い主がお生まれになるという預言が成就したように、主が再び来られて神の国の建設とともに、完全な救いを完成されるということも必ず成就します。

イエスがやがて栄光をまとわれて、再び来られて、救いを完成し、神の国を築いて下さいます。そこに何ものにも代えられない希望があります。

 (伊藤和史長老)