<救い主出産の恵み>
天使ガブリエルは、マリアの前に現れて言います。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」
当時のユダヤの人々はローマの圧政に苦しみ、旧約聖書に預言されている“救い主の誕生”を待ち焦がれていました。マリアはその救い主を産むというのです。これは素晴らしい恵みです。
<主が共におられるということ>
ガブリエルは、もう一つの恵みをマリアに告げます。「主が共におられる。」です。
多くの人は、「主が共におられる」と言われれば、自分のなす事すべてがうまく行くと思わないでしょうか? しかし、ガブリエルはマリアにそのようなことを告げたのでしょうか?
マリアのこの後の人生は、幸せな人生だったでしょうか?
多くの人は、イエス様の地上の人生は、貧しさと、苦労と、悲しみの連続であったことを知っています。
マリアはイエスを産んだ母親です。イエスの苦しみは、母親であるマリアの苦しみでもあります。
親であれば、わが子の苦しみは自分の苦しみと感じるのは、ごく当たり前です。
そして、ついには、マリアは、わが子イエスの十字架にも立ち会うのです。
その苦しみを承知の上で、神はマリアに「おめでとうマリア。主があなたと共にいる。」と言われるのです。
“主が共におられる”とは、何不自由なく暮らせることでも、あなたが周りの人々から尊敬されることでもありません。
“主が共におられる”とは、その人を通して主のご計画が実現するということです。
そして、そのことは、その人自身にとっても幸いなことなのです。
もう少し突っ込んで言えば、あなたを愛しておられる神が、あなたのことを全てご存じである神が、あなたを見ていてくださる、とあなたが実感できることが幸いなのです。
そのようなあなたを通して、主の計画が実現されていくのです。
マリアに「わたしはあなたと共にいる」と語られた同じ神が、今日、あなたにも語られます。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)
“主が共におられる”ことを感じながら、今週一週間を過ごしましょう。
(丹羽均神学生)