ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。              ルカ16章10節
 
「不正な管理人」のたとえと表題のつけられている部分です。

徹底して生きる
どうして、イエス様が、この不正な管理人のことをおほめになったのでしょうか。その鍵は、1節にあります。このたとえ話、それは、イエス様が弟子たちに向けてお話になったたとえ話ということです。このたとえ話を通して、イエス様は、何を弟子たちに教えようとなさったのか。それは、この管理人の徹底した態度ということです。イエス様がご覧になったとき、弟子たちの姿というのは、どこか不徹底に見えました。そんな弟子たちに向かって、この世の子らの徹底した態度、生き方から学ぶようにとお語りになった、それが、今日のたとえ話であるということです。

みこころに
では、イエス様は、弟子たちに対して、何に徹底して生きるようにと教えられたのでしょうか。不正に対して、正しさ、正しく生きることに徹底するようにと教えられたのでしょうか。そうではありませんでした。10節で、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」と言われています。ここで、「不忠実」と訳されていることば、それは、「不正」とも訳せることばが使われています。つまり、イエス様は、「不正」の反対のこととして、「忠実」ということをおっしゃったということです。忠実、すなわち、神様のみこころに徹底して生きるようにと教えられたということです。

愛に
イエス様は、神様のみこころに徹底して生きるようにと教えられました。もう一つのこと。イエス様は、愛に徹底して生きるようと教えられました(9)。わたしたちは、自分で自分を救うことができない者であることを認め、からの手でゆるしといのちを受け取るという神様に徹底的に信頼するという方向と、無代価で受けたのですから、見返りを期待しないで愛し、仕えるという、愛に徹して生きる。そのようにと招かれているということです。

(前川隆一牧師)