さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
コロサイ3章1節
コロサイ3章1節において、「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」ということが言われています。この「上にあるものを求める」とは、どのようなことを意味しているのでしょうか。
実を結ぶ
その前に、パウロが、「実を結ぶ」と言っていることに心を留めたいと思います(コロサイ1章6節)。キリストをわたしの救い主と信じる、その信仰によって、命の交わりを回復し、神の子とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされるという救いの道を神様は開いて下さいました。実を結ぶ、そのために、キリストを信じる信仰によって、神様との命の交わりを回復する、それが、第一のことがらです。
みことばに生きる
そのような救い、それは、聖書のみことばの中に記されています。けれども、救いに関する知識を持っているということだけで十分ではありません。そのみことばに生きるようにと、聖書はわたしたちにチャレンジしているのです。教会のかしらなるキリストということを語っているのがコロサイの信徒への手紙です。頭であるキリストのみむねに従って、わたしたちが、キリストの手として、足として、耳として、口として、行動する。奉仕する、そのことを通して、実を結んで行くことができるのです。「上にあるものを求める」。ですからそれは、かしらなるキリストのみむねを聴いて、それに従うということを意味しています。
天に国籍を持つ者として生きる
また、「上にあるものを求める」ということに関して、パウロは、こんなことを言っています。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」。フィリピの信徒への手紙3章20節です。自分の本国、国籍は、天にあるということを覚えつつ、そのような者として、仕え、愛し、あかしして行く、それが、クリスチャンの歩みであり、「上にあるものを求める」ことなのです。
(前川隆一牧師)