この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。ルカ4章21節
 

イエス様がメシアとしての宣教の働きを始められた場面です。

尊敬を受けられた
まず第一に、イエス様は、「皆から尊敬を受けられた」ということでした。他の律法の教師たちとイエス様とはどこが、どう違っていたのでしょうか。それは、ひと言で言うなら、「イエスは、霊の力に満ちてガリラヤに帰られた」とあるように、イエス様は、霊に満ちて、聖霊によって語られたということです。律法の教師たちが、知識として伝え、分かち合う聖書のみことばを、聖霊によって、言わば命を吹き入れられたことばとして語られたということです。

あなたがたが耳にしたとき
第二に、イエス様は、「あなたがたが耳にしたとき」とおっしゃいました。このことばというのは、「あなたの耳の中で」という表現です。つまりこれは、成就したときのことを表したいのではなく、成就したできごととそこにいる人との関わり、もっと言えば、成就したできごととわたしやあなたとの関わりということを表そうした表現ということです。イエス様が、「あなたの耳の中で実現した」「成就した」とおっしゃったとき、それを聞いたその人々は、「ああ、そうですか」ということでは済まされない。「耳の中で聞いてしまった」こと、「関わりのできてしまった」ことを語り伝えずにはおれない者とされる。それが、ここで言われていることがらであるということです。

イエス様のことばを聴いたとき、人々は、聖霊によって命を吹き入れられたことばを聴きました。そして、そのことばに生きて行ったとき、ペトロは、パウロは、そこで、聖霊の現実を経験したのでした。今日も、わたしたちは、このペトロやパウロが経験した同じ経験をすることができます。それは、この礼拝においてです。この礼拝から遣わされて生きるというクリスチャン生活を通して経験することができるのです。

(前川隆一牧師)