そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
ヨハネ12章3節
マリアが、非常に高価なナルドの香油をイエス様にお献げしたできごとです。
大胆な行為
第一に、マリアの行為、それは、非常に大胆な行為でした。マリアというと、多くの人が思い浮かべる、それは、お姉さんのマルタが立ち働く中、じっとイエス様の足もとに座って聴き入っていたマリアの姿ではないでしょうか。そのようなマリアの静的、静かな姿と比べると、別人かと見間違うようなマリアの動的な姿、大胆な姿。それが、このできごとです。
信仰告白
第二にこのできごと、マリアの信仰告白としてのできごとと言うことができます。ヨハネ11章で、ラザロの死に際して、マリアは、姉のマルタと同じことばで、イエス様をお迎えしました。けれども、マルタが語った、後に続く信仰的なことばは、涙があふれ、感情があふれて、かき消されてしまいました。そのとき、言えなかった信仰告白のことばを、行動をもって示した、それが、このできごとということでした。
油を注ぐ役割
第三にこのできごと、それは、マリアがイエス様に油を注ぐ役割を果たすできごととなりました。旧約聖書の時代、王、祭司、預言者は、油注ぎという儀式を経て、それぞれの特別な使命を自覚し、また、その使命を果たして行きました。イエス様は、真の王、祭司、預言者として、油注がれるべきお方でした。確かに、洗礼をお受けになったとき、聖霊によって油注がれるということは体験なさいました。けれども、それ以外、具体的に誰かから油を注がれるということは経験しておられませんでした。今まさに、エルサレムへと入城して行こうとしておられる。受難へと向かって行こうとしておられる。そのときに、真の王として、祭司として、預言者として油注ぎをお受けになった。それが、このできごとということでした。そして、その役割を果たすこととなった、それが、マリアでした。
(前川隆一牧師)