コロナ禍の中で、生かされて <エフェソ5:15-20> 20210815
コロナ禍の中で示された事柄を通し、賢者として生かされ、生きる事を学ばせて頂きたいと思います。
・<畏れるべきお方から離れずに生かされ、生きる> モーセは出エジプトを命じられ拒み続けましたが、アロンに杖を投げる様に命じよと言われて従った時、杖は蛇に変わりました。蛇は嫌なものでしたが、もう一度、杖を握りしめた時、蛇は「支え」に変わったのです。嫌なものから逃げるのではなく、畏れるべき方の言葉を握りしめ、難局を乗り切りたいものです。
・<真に感謝する人として生かされ、生きる> ある教会の信徒のお父さんが余命いくばくもない状態で退院。その信徒の要請でパソコンによる礼拝が持たれました。そのお父さんはある理由で教会に行っていなかったが、急遽、聖餐式も持たれることに。そのお父さんは、罪の赦しを体験され、これほど嬉しそうな顔を見たことがない様な顔をされ、その数時間後に召されました。私たちも日々、真に感謝する生活を送らせて頂きたいものです。もし、真に感謝する生き方が出来たとすれば、傲慢さはひとかけらも入って来ません。神様がご主人であり、私達は僕です。主の従僕です。自分の考えのほうが、神様よりも前にある生き方ではない筈です。
パウロは、嫌なことも悪いことも、光に照らされ明らかになると言っています。(5章13節)コロナ禍であっても、「キリストに照らされ、歩まされている」ことを覚えて、日々の生活を送らせて頂きたいものであります。
(石丸武史長老)