こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。エフェソ3章14節
今日の箇所は、パウロの祈り、パウロがどのように神に祈って行ったかということを学ぶことのできる箇所です。
ひざまずいて
第一に、パウロの祈りということ。パウロがどのように神に祈って行ったかということです。「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります」と言われています(14)。祈りとは、神の前にひざまずくことです。日常の歩みを止めて、深い信頼をもって主の前にひざまずく、それが祈りのときであるということです。
内なる人
第二に、その祈りをパウロは個人的にどのように掘り下げて行ったのでしょうか。16節に、「内なる人」ということが言われています。「内なる人」、それは、わたしたちの潜在意識であるのかもしれません。また、キリストにあって生まれかわった新しいわたしであるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それは成長することができるのです。それは、祈りを通して、みことばを通して、神様に信頼するということを身につけて行くとき、神様がわたしの内なる人を新しくして下さるということを経験することができるのです。
すべての聖なる者たちと共に
第三に、パウロは、キリストの体なる教会という交わりの中で、どのように祈って行ったのでしょうか。または、祈りということを身につけ、また、養って行ったのでしょうか。18節に、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」と言われています。神の愛、キリストの愛が、わたしたちの思いを越えて、どれほど、広く、長く、高く、深いものであるかを理解する者とされる。それが、わたしたちの信仰生活です。しかも、「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に」と言われています。わたしたちは、それを、主にある交わり、キリストの体なる教会の交わりの中で経験させていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)