イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」                    マルコ10章27節
 
 「永遠の命を受け継ぐには」との求めをもってやって来た人に対するイエス様の対応です。

報酬として
 第一に、彼は、報酬として、律法を守ることを通して永遠の命を得ようとしました。報酬として、律法を守ることを通して永遠の命を得ようとするとき、わたしたちは越えることのできない壁を自分の前に築くことになってしまうのです。律法を守ることを通して救いを得る、永遠の命を得ようとするとき、その一点一画もおろそかにできないという高い壁を自分の前に築くことになってしまうのです。

恵みとして、賜物として
神様は、報酬として救いを得る、永遠の命を得るという道とは別の道、もう一つの道を開いて下さいました。それは、賜物として、贈り物として救いを、永遠の命を得るという道です。そして、そのためにイエス・キリストがお出でになり、十字架への道を歩んで下さったのでした。イエス様がわたしたちの代わりに律法の要求を満たし、その上で、わたしたちの身代わりに十字架で裁かれ下さいましたから、このイエス様をキリストとして、救い主として信じ、受け入れるとき、わたしたちは、救いを、永遠の命を賜物として、贈り物として受け取ることができる。それが、神様が開いて下さったもう一つの道なのです。

まなざし
1節で、「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」とあります。この「慈しんで」ということば、文字通り、「愛して」ということばが使われています。イエス様は、この人を愛されたのでした。深く愛されたのでした。そして、この人のためにも、十字架への道を歩んで下さったのでした。イエス様は彼を見つめ、愛されました。そして、そのまなざしは、わたしたちにも向けられているのです。第三に、わたしたちは、賜物として、贈り物として救いに、永遠の命に与り、イエス様の愛のまなざしの中で、解き放たれて生きるようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)