イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」(マタイ20:21)
ヤコブとヨハネと彼らの母親がイエス様の所にやってきました。イエス様が王座につかれる時、この2人を右と左においてくださいと頼むためです。その目的を知りつつも、イエス様は彼らに「何が望みか?」とお尋ねになりました。この問いは、彼らの「本当の望み」を尋ねる、とても深い問いです。
「あなたがたは自分が何を願っているか、分かっていない。」とイエス様はおっしゃいました。何が分かっていなかったのでしょうか?まず彼らは、「人の上に立つ」とはどういうことかわかっていませんでした。人の上に立つとは、思い通りに人を動かすことではなく、むしろ人の思い通りに自分が動かなければならないようなことです。人から意地悪されたり、人のせいで予定を狂わされたりしても、一つ一つ笑顔で受けとめて、相手に仕える。…それが人の上に立つことであり、わたしの右と左に座ることだ、とイエス様は言われたのです。
しかし、いったい誰がそのようなことが出来るのでしょうか?誰も出来ません。そんな生き方が出来るのはイエス様だけです。イエス様は、茨の冠をかぶらされ、ムチで打たれ、十字架にくぎで打たれながら、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈られました。どこまでも自分の事がわからないわたしたち。しかしそんなわたしたちの代わりに、イエス様が十字架で死んで下さり、3日目によみがえられました。このイエス様を信じるならば、たとえ罪ある者であっても、善い行いのないものであっても、赦されて、神様から「義人」と見なされます。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(ローマ4:3)。
神様から義人と見なされた人は、ただ自分が天国に行けることだけで満足せず、イエス様の右手、左手となって、イエス様のために何かがしたくなります。そして実際に何かが出来ます。皆さんの中に「自分はイエス様からずっと遠くにいる弟子です。イエス様のお役に立つことなど出来ません」と思っておられる方があれば、そうではありません。あなたもイエス様の右に立つ弟子、左に立つ弟子です。だからぜひ大きな望みを「キリストにおいて」抱いて下さい。イエス様は必ず実現させて下さいます。なぜならあなたの右には、あなたの左には、イエス様ご自身がいて下さるのですから。
(永田 令師)