しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。   詩編30編8節
 
弟子たちと復活の主とのガリラヤでの出会いを描いたヨハネ21章です。

失望をくぐりぬけて
 ヨハネ21章は、ヨハネによる福音書の付け足しのように言われることがあります。けれども、21章があることを通して、明らかになった神様の恵みがあります。それは第一に、弟子たちは、ガリラヤに帰りますが、いっこうにイエス様がお姿を現されない失望のときを過ごしたということです。詩編30編の8節を見ると、「しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました」と記されています。わたしたちの信仰生活にも、いろいろなときがあります。主が御顔を隠しておられると思えるときもあります。けれども、それもまた、わたしたちの信仰の歩みにとってたいせつなときであるのです。

ナタナエル
 ヨハネの福音書20章の30~31節を見ると、ヨハネによる福音書の締めくくり、結論と言えるようなことが記されています。ですから、21章は、ヨハネによる福音書の付け足しのように言われることがあります。けれども、21章があることを通して、明らかになった神様の恵みということがあります。それは、この21章において、いろいろな意味で、伏線の回収が行われているということです。その一つは、ナタナエルという人についてです。ナタナエルという人は、イエス様の十二弟子の一人になって行った人ですが、ヨハネの1章で触れられているのみで、その後は、ほとんどほったらかしにされて来たような人物です。そのナタナエルに約束された約束の成就として、ナタナエルが、復活の主とお会いする場面。それが、このヨハネの21章です。

ペトロ
伏線の回収ということで言えば、やはり、いちばん大きな伏線の回収、それは、イエス様を裏切ってしまったペトロが、どのようにして、具体的に回復して行ったかということです。この場面、それは、三度イエス様を裏切ってしまったペトロが、具体的に回復させていただいた場面です。ペトロがイエス様のことを三度も知らないと言ってしまった伏線のできごとが具体的に回収されて行く場面です。

(前川隆一)