エゼキエル34:11~16、23~24

神様は、モーセに対し、「憐み深く恵みに富み、忍耐強く、罪と背きと過ちを赦す。私は驚くべき業を行う。民はこの業を見るであろう。」と仰いました。(出エジプト34:6)

また、エゼキエルに対しては、「悔い改めるならば良い牧草地で憩わせる。一人の牧者を起し牧させる。彼らはわたしが主であることを知るようになる。」と仰いました。(エゼキエル34:11~15、23、27)

そして、パウロは、「不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、非のうちどころのない神の子として星のように輝き、命の言葉を保つことでしょう。」と奨めています。(フィリピン2:14)

エゼキエルの人生は決して穏やかではありませんでした。しかし、彼は「主と共にある憩い」の場をしっかりと見つめ、まっすぐに歩み続けました。私たちも、自分を中心において人を批判するのではなく、また、自らを人と比較するのではなく、ただただ、神様の御旨に繋がる延長線上の上に自らを置き、不平や理屈を言わず、主の助けを頂いて、たとえ1ミリでも御旨に近づく歩みを続けさせて頂くことに専念しようではありませんか。

(石丸武史長老)