海は見て、逃げ去った。ヨルダンの流れは退いた。      詩編114編3節

114編は、「神の民の救いにおいて現わされる神の奇跡的な介入において、他に比べるべきものはない」ということがうたわれている詩編です。今日は、イースターです。イエス・キリストの復活も、また、神様の奇跡的介入のできごとということができます。

罪の赦し
イスラエルの民は、小羊の血を門と鴨居に塗ることを通して、救われました。そのことが指し示しているイエス・キリストは、わたしたちが救われる道、罪が赦される道を開くために、十字架で血を流し、命を献げて下さいました。そして、イスラエルの民は、紅海を渡るという神様の奇跡的介入を通して、エジプトを脱出しました。そのことが指し示しているキリストの復活という神様の特別な介入によって、救いの道が開かれたということが保証されました。

兄弟
また、復活されたイエス様はこうおっしゃいました。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に合うことになる。」イエス様が、「兄弟」と言われた。それは、イエス様の弟子たちのことです。彼らは、イエス様が捕らえられたとき、それこそ、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去ってしまった人々でした。その弟子たちのことを「兄弟」と呼ばれた。それを奇跡と呼ばずして何を奇跡というのでしょうか。

使命
さらに、イエス様は、ガリラヤで、もう一度、弟子たちと再会し、新しい使命をお与えになりました(マタイ28:18~20)。罪にまみれた弟子たちの罪を赦し、兄弟として迎え、新しい使命をお与えになった。それが、今日の福音書で語られている内容ということです。

そして、そのような神様の奇跡的な介入を、今、ここで、わたしが経験する、それが、この礼拝のときなのです。

(前川隆一牧師)

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