もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。               ヨハネ15章15節
 

イエス様が、弟子たちに対して、そして、キリストを信じるわたしたちに対して、「わたしは、あなたがたの友である」そうおっしゃっておられます。

わたしは、あなたがたの友である
モーセの時代、イスラエルの民にとって、神がモーセと友のように語られるということは特別なことでした。恐ろしいこと、近づきがたいことでした。けれども、イエス・キリストは、ご自分の肉を裂き、血を流し、命を献げて、神と人間との間にある断絶の壁を取り除いて下さいました。ですから、キリストを信じる信仰によって、すべての人が、キリストを友とし、また、キリストの名によって、父なる神様と、友のように語り合うことができるのです。

実を結ぶ
そして、友と呼んで下さったわたしたちに対して、イエス様は、二つの約束を与えて下さっています。一つは、「実を結ぶ」という約束です。実とは、愛し合うことを通して実って行く実ということです(12)。愛し合うことを通して実って行く実、そう言われると、「自分のような者は」という反応も出て来るかもしれません。けれども、これも、イエス・キリストの十字架と復活のできごとを土台としてということです。イエス様が、「わたしがあなたがたを愛したように」と言われたことを土台としてということです。キリストの十字架の愛につながって、わたしたちは、実を結ばせていただくことができるのです。

祈りが聞かれる
そして、「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられる」という約束です。わたしたちは、キリストの十字架と復活の救いの大きさを知れば知るほど、自分の罪が明らかになるということを経験します。そして、自分の罪が明らかになればなるほど、この私を救い、選んで下さった主の愛に応えて、愛し合いたいと願うようになるのです。そのような願いをもち、みこころに適って願う願いを神様は叶えて下さるのです。

(前川隆一牧師)

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