「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉をもっておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
ヨハネ6章68~69節
人々が去って行った後、イエス様が「あなたがたも離れて行きたいか」と問われ、ペトロがそれに答えた場面です。
価値観
第一に、人々が去って行った。それは、何を意味していたのでしょうか。ここで言われている。それは、「地上のパンを求める価値観」と「イエスが命のパンであるという価値観」とは、異なっているということです。わたしたちもそうではないでしょうか。イエス様のこと、イエス様が下さる救いのことを家族や友人に分かってほしいと思う。でも、なかなか通じない。分かってもらえない。そんなことをわたしたちも経験するのではないでしょうか(第一コリント2章14節、第一コリント1章18節)。
弟子たちに何を求められたのか
第二に、それでは、そのような中にあって、イエス様は、弟子たちに何を求められたのでしょうか。それは、「あなたがたも離れて行きたいか」、「あなたは、だれを信じ、だれに従うのか」と、個人的な信仰を求められたということです。ペトロの歩み、それは、何度もこのことを問われ、それに答えて行く歩みであったということができるかもしれません(マタイ14章28~31節、ヨハネ21章20~22節)。
わたしたちに何を求めておられるのか
では第三に、これらのことを通して、イエス様は、わたしたちに、何を求めておられるのでしょうか。わたしたちに対しても、「あなたは、だれを信じ、だれに従うのか」と、個人的な信仰を求めておられます。ただ、一つ、気をつけなければならないことがあります。それは、わたしたちの信仰、それは、わたしたちの熱心さや誠実さに土台があるのではないということです。わたしたちの信仰の土台、それは、わたしたちの内ではなく、外にあるのです。キリストが肉を割き、血を流し、命を投げ出して下さった十字架のできごとの中にあるのです。その十字架の救いを信じる信仰を与えていただいて、わたしたちは、愛し、仕え、主に従う者としていただくことができるのです。そして、そのような信仰を造り出して下さる。それが、聖餐であり、聖餐を指し示すこの礼拝であるのです。
(前川隆一牧師)