「あなたがくださった栄光をわたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」          ヨハネ17章22節
 
ヨハネによる福音書17章の、イエス様の祈りの最後の部分です。

悔い改めによって
今日は特に、21~22節の、主がわたしたちを一つとして下さるということに注目してみことばを学びたいと思います。第一に主は、悔い改めを通して、わたしたちを一つとして下さいます。だれがいちばん偉いかと、競い合い、論じ合っていた間、弟子たちは、決して一つになることはできませんでした。その弟子たちが、キリストが十字架について死んで下さらなければならなかったほどの罪人であると認めて、へりくだった。そして、祈る者とされた。そのとき、一つとされました。

信仰によって
第二に、主は、信仰によって一つとして下さいます。わたしたちの努力やがんばりによって、一つとなるのではなく、実は主は、キリストのからだとされているわたしたちを一つとして下さっているのです。それは、聖餐においてです。エフェソ4章4節で、「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望に与るようにと招かれているのと同じです」と言われています。この「体」とは、聖餐のことです。わたしたちは、同じキリストのからだ、同じキリストの血に与るキリストのからだとされているとの信仰をもって、お互いに愛し合い、仕え合う。それが教会なのです。

すべての人
第三に、主は、教会という枠を超えて一致を広げて下さる。このことを覚えたいと思います。21節の「すべての人」とは、文字どおり、すべての人、教会の交わりの外にいる人も含まれています。わたしたちのまわりには、まだ主の救いに与っていない家族がいます。友人がいます。その人々もまた、この愛の一致の中に招いて下さるという希望が語られているということです。そのために、わたしたちが成すべきこと。それは、わたし自身が主を喜ぶことです。喜んで信仰生活を送ることなのです。

(前川隆一牧師)

 

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