命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。                  詩編23編6節
 

ダビデが、どのように神様に訴え、受け留めていただいて、神様のみこころに歩むことができたのかをごいっしょに学んで行きたいと思っています。

重荷を下ろさせていただくことを通して
第一に、ダビデは、心配を、不安を、恐れを、そのすべてを、神様のみもとに下ろさせていただくという経験をしました(2)。その信仰によって、平安をいただき、自分の持てる能力を最大限に発揮することができたのでした。わたしたちも、わたしたちを押しつぶそうとするような大きな問題、課題に直面することがあります。そのとき、わたしたちも、ダビデのように、重荷を下ろさせていただくということを経験することができるのです。そして、平安をいただいて、持てる力、能力を発揮する者としていただくことができるのです。

主とすることを通して
第二に、ダビデは神様を主とすることを通して、神様のみこころに留まる経験をしました。また、逆に、罪を犯してしまいますが、神様を主とすることを通して、神様のみこころに立ち返って行く経験をしました。わたしたちも、神様を主とすることを通して、神様のみこころへと歩んで行くように召されているのです(1)。

思いを訴え、受け留めていただくことを通して
第三に、ダビデは、神様に自分の思いを訴え、受け留めていただいて、神様のみこころを、神様とともに歩む道を選び取って行きました(6)。

今日の福音書は、イエス様が、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」そうおっしゃっておられるヨハネによる福音書10章でした。ダビデが見ることのできなかったキリスト十字架と復活を見、見上げることができる新約の時代に、わたしたち生かされています。そのような恵みを覚え、わたしたちは、主に重荷を下ろさせていただくことを通して、キリストを主とすることを通して、そして、恐れ、迷い、悩む中で、主に自分の思いを訴え、受け留めていただくことを通して、みこころに歩むようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)

 

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