「皆はありあまる中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
マルコ12章43節
「やもめの献金」と表題のつけられている箇所です。
一筋の信仰
第一に、このやもめのすばらしかった点、それは、一筋の信仰をもっていたということです。やもめの献げもの、それは、心と行為とがぴったりと一致した献げものでした。それは、その前の40節、「また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」と言われている宗教的指導者たちの「見せかけ」善行、祈り、宗教行為に対して、一筋の心、一筋の信仰ということを表していました。
信頼
第二に、それは、このやもめの信頼ということでした。詩編115編8節に、「偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる」と言われていますが、そのような偶像ではなく、彼女は、まことの神様を信じ、信頼しました。
応答
第三のこと。それは、このやもめが、そのまことの神様に信頼し、応答したということです。彼女は、まことの神様に信頼し、応答しました。そのことを通して、家族を正しく愛することができたのでした。
では、わたしたちは、どのようにして、このやもめと同じ信仰を身につけることができるのでしょうか。人が経験したことのないような奇跡を経験しなければならないのでしょうか。人が経験したことのないような知恵、悟りを受けなければならないのでしょうか。そうではありません。やもめの献金をおほめになったお方がどなたであったかということ。そのことが重要です。やもめの献金をおほめになったイエス・キリストは、神が人となられたお方でした。それだけではなく、わたしたちの罪の解決のために、十字架で死んで下さったお方です。このお方を信じることを通して、このやもめと同じ信仰をもつ者としていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)