イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」 ルカ7章9節
イエス様が百人隊長の僕をいやされたできごとです。
ユダヤ人の評価とイエス様の評価
百人隊長、彼は、勇敢な人、憐れみ深い人であり、その上、神を畏れ、ユダヤ人たちが礼拝を守ることを助けてくれる人でした(4~5)。でも、イエス様がこの百人隊長を評価された、それは、別のところにありました(9)。ユダヤ人の長老たちは、百人隊長のよい行いを見ました。しかし、主イエス様は百人隊長の信仰をご覧になりました。
信仰・イエス様のもとへ行くこと
では、この百人隊長の信仰とは、どのような信仰だったのでしょうか。それは第一に、単純なことですが、イエス様のもとへ行ったということです。他のところではなく、イエス様のもとへ行ったということです。ルカによる福音書では、ユダヤ人の長老を通して、イエス様に求めた、ということです。わたしたちは、みことばに聴き従うというとき、プロセス、過程をしっかりと踏んで行くことがたいせつです。とともに、さらにたいせつなのは、やはり信仰ということです。わたしたちは、「きよめられたら」とか、「整えられたら」とかいうことではなく、そのままでイエス様のもとへ行く、そのことがたいせつなのです。
信仰・イエス様を主とする信仰
百人隊長の信仰、それは第二に、イエス様を主とする信仰でした。百人隊長は、百人隊長の家にやって来られるイエス様に対して、友達を使いにやって言わせました、「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」。これは、イエス様のおことば一つでいやしていただけるという信仰であり、また、イエス様の権威を認める信仰、イエス様を主とする信仰でした。わたしたちも、イエス様を主とし、イエス様と共に歩める、そこに大きな祝福があることを覚えたいと思います。
(前川隆一牧師)