ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。  ルカ7:7
 
 「百人隊長の僕をいやす」と表題のつけられている部分です。

行為
イエス様のもとに遣わされた長老たちは、「あの方は、そうしていただく資格を持った方です」と言いました。それは、「わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を立ててくれたのです」と言っています。ユダヤ人の長老たちが、ぜひにとイエス様に願うような、この百人隊長は人格者であったということです。

けんそん
その長老たちの願いを受けて、イエス様は長老たちともに出かけて行かれました。すると、その百人隊長の家から遠からぬところまで来たとき、百人隊長からの使いの者がやって来て、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」との百人隊長のことばを伝えました。先にユダヤ人の長老たちが、「あの方は、そうしていただく資格を持った方です」と言ったのに対して、百人隊長は、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と言ったということです。ここに、この百人隊長のけんそんを見ることができます。

ことばに対する信頼
最終的に、イエス様は、この百人隊長のことをおほめになり、その僕をいやされました。では、イエス様は、百人隊長の何をおほめになったのでしょうか。この百人隊長の行為でしょうか。それとも、この百人隊長のけんそんでしょうか。そうではなく、この百人隊長の「イエス様のことばに対する信頼」をおほめになったのでした(7~8)。

イエス様の時代から2000年も隔たった現代、しかも、ユダヤの地からは地の果てと言えるように日本に住むわたしたちが、この百人隊長と同じ信仰を言い表し、同じ祝福に与ることができる秘訣があります。それは、イエス様のことばイエス様のことばとして、聖書のことばを聖書のことばとして信じる信仰であるのです(ペトロ第一の手紙1章8節)。

(前川隆一牧師)