主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。
詩編86編11節
イエス様が、一人のやもめが神殿で献金している姿をおほめになった場面です。
一筋の信仰
イエス様はこのやもめが献金する姿をおほめになったのでしょうか。それは第一に、イエス様は、彼女の一筋の信仰をおほめになりました(詩編86編11節)。律法学者たちの善行、祈り、宗教行為が、「見せかけ」であったのに対して、このやもめの献げものは、心と行為とがぴったりと一致したものでした。その一筋の心、一筋の信仰を、イエス様はおほめになったのでした。
信頼
第二に、イエス様は、このやもめの神様に対する信頼をおほめになりました。この女性は、生活費全部を献金しました。もちろん、この女性はいつもいつも生活費全部を献げていたわけではありませんでした。それにしても、そこに彼女の信仰が現れていました。わたしたちは、真剣に主に聴き従い、人に仕えて行こうとすればするほど、自分の足りなさ、不十分さ、罪深さを示される経験をします。でも、そのわたしを主は招かれるのです。自分の弱さ、足りなさ、罪深さを抱えたまま、主の招きに応えて、一歩踏み出して行く、そのことを通して、わたしたちは、主の弟子としていただくことができるのです。また、そのことを通して、わたしたちは主に対する信頼ということを学ぶことができるのです。
愛
第三に、イエス様はこのやもめの愛する姿勢をおほめになりました。このやもめは、レプトン銅貨二枚、すなわち、生活費全部を主にお献げしました。それは、まさに、先週学んだ「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、神である主を愛する」姿です。また、彼女は、そのように神を愛して、自分の家族をないがしろにするような女性であったとすれば、イエス様は彼女のことをおほめになることはなかったはずです。同時に、彼女は、隣人を自分のように愛する人だったに違いありません。
(前川隆一牧師)