そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。 マルコ6章7節a
イエス様が12人の弟子たちを伝道に派遣された場面です。
遣わされた者
今日の箇所を通して第一に、わたしたちもイエス様によってこの世に遣わされている存在であることを覚えたいと思います。恵みの信仰ではなく、律法的な信仰に歩むなら、わたしたちも人生の終わりに、「もっと自分の幸せを追求すればよかった」と思うようになるかもしれません。けれどもその一方、わたしたちは、自分の幸せだけを追求して、ほんとうの人生の満足を得ることはできないのです。神様を礼拝するところから遣わされて愛する者、仕える者、福音を伝える者として生きる、それこそが、教会の、またクリスチャン一人一人の存在の意義なのです。
信頼
第二に、そのように遣わされて生きるために、たいせつなこと、それは、信頼ということです。信仰、それは、神の存在を信じるということではありません。キリストの十字架の意味を知って、その事実を信じているということでもありません。信仰、それは、神様を信頼して、神様との交わりの生活に入れられることです。聖書の「信じる」という動詞は、「よりかかって信頼すること」という意味のことばなのです。このことが身について来るなら、わたしたちは、恵みに生きる者とされます。ほんとうの意味で、遣わされて生きる者とされるのです。
みことば
ではわたしたちは、どのようにして恵みに生きる者となることができるのでしょうか。ほんとうの意味で、遣わされて生きる者となることができるのでしょうか。それは、みことばによってです。このことが今日覚えたい第三のことがらです。聖書の知識、神様の知識を自分のものとしていくということは、生活の知恵や心の支えをいただくということではありません。神様の知識、それは、わたしたちの魂に全体的な変革をもたらすものなのです。神様に対する信頼に生きる土台、それは、神のことば、みことばなのです。
(前川隆一牧師)