「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」          マルコ10章45節
 
  「ヤコブとヨハネの願い」との表題のつけられている箇所です。

聞いていただくことによって
わたしたちは、しあわせに生きたいと願っています。第一に、それは、イエス様に聞いていただくことによって、そのように生きることができます。ヤコブの、ヨハネの、自分勝手と思えるような願いを受け留めて下さったイエス様は、わたしたちの願い、求め、思いをも受け留めて下さるのです。

新しいアイデンティティーを受け取ることを通して
第二に、わたしたちは、新しいアイデンティーティー、新しい身分を受け取ることを通して、しあわせに生きることができます。
わたしたちは、他者との関わりの中で、社会の中で、認められたい。自分の価値を認めてもらいたい。また、他者との関わり、社会の中で、自分の持つ能力や可能性を発揮したいという欲求をもっています。それは、それで自然なことです。ただその欲求の背後に、人を押しのけてでもという罪が潜んでいるのです。その罪の贖いのためにイエス様は十字架で死んで下さいました。わたしの贖いとして十字架で死んで下さったイエス・キリストを信じ、受け入れることを通して、わたしたちは、罪赦され、神の子とされた者という新しい身分、アイデンティティーをもつ者とされるのです。罪赦され、神の子とされたという身分、アイデンティティー、そこに、わたしたちの救いがあり、平安があるのです。

祈りに応えて下さるとの確信によって
イエス様は、わたしたちの願い、思い、感情を受け留めて下さいます。けれども、それだけではなく、第三に、わたしたちの願い、祈りに、イエス様が応えて下さるとの確信によって、わたしたちはしあわせに生きることができるのです。イエス様を信じ、イエス様のみこころに歩むとき、知らず知らずのうちに、自分の深いところにある求め、祈りが応えられていた。それが、信仰生活の中で経験することがらなのです。

(前川隆一牧師)