「もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」 ルカによる福音書19章31節
イエス様のエルサレム入城のできごとです。
冒険への招き
イエス様がエルサレムに上り、二人の弟子に命じられたこと、それも実は、冒険をしなさい、ということでした(30)。二人の弟子が送り出された。彼らにとって、それは、一つの冒険でした。わたしたちも、冒険へと招かれている、それが今日第一に覚えたいことがらです。
主のことばに従う冒険への招き
第二に、冒険、でもそれは、主の冒険へと招かれています。イエス様は、二人の弟子を遣わすにあたり、「もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」とおっしゃいました。これは、ある意味、不思議なことばです。ろばの持ち主に向かって、「主がお入り用なのです」などと言ったら、「おれが持ち主だ」とどやされるのではないか、と二人の弟子は思ったかもしれません。でも、実際にそう言ったところ、持ち主はゆるしてくれたのです。弟子たちは、主の冒険、主のことばに従う冒険へと遣わされました。わたしたちも、この主の冒険、主のことばに聴き従う冒険へと日々遣わされているのです。
賛美への招き
そしてわたしたちは、讃美へと招かれています。それが、今日覚えたい第三のことがらです。イエス様がエルサレムに入城されると、人々は口々に主を賛美し始めました。それを見て、ファリサイ派の人が、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言うと、イエス様は、「言っておくが、この人たちが黙れば、石が叫び出す」と言われました。それは、イエス様こそ賛美を受けるにふさわしいお方ということを表しています。けれども、このように主を賛美した人々が、数日のうちに手のひらを返したように、イエス様を裏切ってしまうのです。イエス様は、人々に裏切られ、十字架で死なれます。あの人々の賛美は、むなしいものだったのでしょうか。いや、その十字架のゆえに、イエス様は賛美をお受けになるべきお方なのです。
(前川隆一牧師)