福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。               Ⅰコリント9章23節

パウロが、自らの生きる姿勢をコリント教会のクリスチャンたちに示している部分です。

福音の妨げにならないように持っている権利を放棄する
パウロの生きる姿勢が、9章全体を通して、その消極的な面とその積極的な面、二つの面で示されています。前者の消極的な面ですが、今日読まれた少し前の12節でこのように言われています。「他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。帰ってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」。パウロの生き方、それは、「福音の妨げにならないように持っている権利を放棄する」という生き方でした。

福音のためならどんなことでもする
もう一方、19節以降、パウロはこのように言っています。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。・・・福音のためなら、わたしはどんなことでもします」。パウロの生きる姿勢、それは、もう一方において、「福音のためならどんなことでもする」という生き方でした。

福音に共に与る者となるため
今日、もう一つ、心に留めたいこと、それは、パウロがそのように生きた、その目的が、23節の後半に記されています。「それは、わたしが福音に共に与るものとなるためです」ということが言われています。わたしたちは、赦すということを通して、わたしたちは、具体的に、神様の赦しを受け取ることができるのです。同じように、わたしたちは、福音に生きることを通して、福音に与ることができるのです。わたしたちは、わたしたちの救いのために、独り子キリストをさえ投資して下さった神の愛に応えて、福音のために投資をして生きるようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)