わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」。
ヨハネ第一の手紙4章10節
愛の手紙と呼ばれるヨハネ第一の手紙の中でも、「ここに愛があります」とヨハネが語る中心的な箇所です。
愛は人を生かす
「愛」、それは、たいせつなものです。なぜなら、「愛」それは、人を生かすものだからです。
愛によって裏切られる
愛は、人を生かすものです。でも、同時に、わたしたちは、愛に裏切られるということを経験するのです。また、愛ということを誤解してしまうということがあるのです。それは、多くの場合、「愛」と言うことと「好き」と言うこととを混同してしまうからです。「好き」、それは、感情の世界のことです。それに対して、「愛する」、それは、行為の世界のことです。相手が、自分のことを好きでいてくれているか、あるいは、そうでないかに関わらず、その人に手を差し伸べて行く。それが、愛するということです。また、「好き」というのは、相手から奪って行く世界であり、「愛する」、それは、相手に与えて行く世界です。さらに言えば、「好き」、それは、相手を自分の所有物のように、もっと言えば、物のように見ることであって、「愛する」それは、相手を一個の人格として見、尊ぶことです。
ここに愛がある
わたしたちは、愛に裏切られるという経験をします。愛だと思って、信頼し、よりすがって来たけれど、それは、ほんとうの愛ではなかったということを経験します。そんなわたしたちに向かって、今日の聖書は、「ここに愛がある」と語るのです。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」Ⅰヨハネ4章10)。十字架に現わされた神の愛、まことの愛を受け取ることを通して、わたしたちは、愛する者とされるのです。そして、その愛を受け取るときと場、それが、この礼拝のときなのです。
(前川隆一牧師)