命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。 詩編16編11節
今日の詩編は、詩編16編です。
わたしに与えられた分
まず注目したい。それは、5節です。「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。わたしの運命を支える方。」最初の「主はわたしに与えられた分」、それは、新改訳聖書では、「主は、私へのゆずりの地所」、そう訳されています。神こそ「わたしに与えられた分」「私へのゆずりの地所」、それは、イスラエルの民がそのように歩んだ信仰であり、この詩編作者の信仰でもあったということです。
測り縄は麗しい地を示し
第二に、6節に注目したいと思います。「測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました。」「わたしに与えられた分」「わたしへのゆずりの地所」、そのような信仰に歩んだとき、具体的な地上の生涯、歩みにおいても、「測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました」、そのような経験を、この詩編作者はすることができた、ということです。
命の道を
第三に、11節に注目したいと思います。「命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。」そううたわれています。「命の道」ということが言われています。この「命の道」の「命」、それは、心臓が鼓動して生きる命、肉体的な命ということではなく、神様との交わりとしての「命」ということを表すことばが使われています。「わたしに与えられた分」「わたしへのゆずりの地所」、そのような信仰に歩むとき、この地上の生涯だけがすべてではない。地上の生涯を超えて、神様と交わることができる命、永遠の命につながる祝福を、この詩編の作者は経験することができたということです。
今の時代、このような信仰に目を留め、このような信仰に歩むようにと、わたしたちは招かれているのではないでしょうか。
(前川隆一牧師)