イエスは答えて言われた。「いちじくの地の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」さらに言われた、「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人のこの上に昇る降りするのを、あなたがたは見ることになる。」 ヨハネ1章50~51節
イエス様が自分のことを知っていて下さるということを経験したナタナエルという弟子について記されている聖書の箇所です。
いちじくの木の下
第一に、このナタナエルは、どんな人だったのでしょうか。48節、イエス様は、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」とおっしゃっています。いちじくの木の下で、ナタナエルは、何をしていたのでしょうか。いちじくの木の下、それは、当時の人々にとって、かっこうの祈りの場、黙想の場でした。ナタナエルは、いちじくの木の下で、深くみことばを黙想し、祈っていました。その姿を見て、イエス様は、「まことのイスラエル人だ」とおっしゃったということです。
ナタナエルの誠実さ
ナタナエルは、祈りの人であり、黙想の人でした。ある意味、誠実な人という言い方ができるかもしれません。イエス様は、続いて、「この人には偽りがない」とおっしゃいました。それは、ナタナエルは、完全無欠の人であるということなのでしょうか。そうではありませんでした。詩編32編1~2節には、神の前に罪がある、咎があるということを認めて、神の前に言い表し、その罪を覆っていただいた者、それが、「心に欺きのない人」と言われています。ナタナエルの誠実さ、それは、そのような誠実さでした。
ベテルの経験
ナタナエルは、誠実な人でした。けれども、イエス様と出会ったときに、その自分の誠実さを横に置いて、イエス様に従って行きました。そのことを通して、ナタナエルは、どんな経験をして行ったのか。それが、50~51節に記されていることがらです。ナタナエルは、祈りの人であり、黙想の人でした。けれども、イエス・キリストの御名によって、神が確かに語って下さり、祈りを聞いて下さるということを経験する者とされたのでした。
(前川隆一牧師)