わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。                 ヨハネ14章6節

洗礼者ヨハネが現れて、教えを宣べ伝え始めたところです。


イエス様は、ご自分を指して、「わたしは道である」とおっしゃいました(ヨハネ14章6節)。このことを、今日第一に心を留めたいと思います。それは、イエス・キリストというお方こそ、わたしたちと神様とをつなぐ道であるということです。わたしたちと神様との間には、罪という越えることのできない障壁があります。そのわたしたち人間のために、イエス・キリストが成して下さった、それが十字架の死ということでした。そして、神様との道、自由に交わることのできる道が通ったことの保証として、よみがえって下さった。それが、イエス様が「わたしは道である」とおっしゃった、その意味していることなのです。

道備えー心の柔らかさ
そして、この道なるお方、イエス・キリストの道備えをした、それが、洗礼者ヨハネでした。そして、わたしたちも洗礼者ヨハネのように主の道備えをする者となるよう招かれているのです。わたしたちは、恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって、救われ、神の子とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされます。とともに、他の人が、このすばらしいイエス・キリストというお方と出会うことができるように道を備える役割が委ねられているのです。そのために必要な第一のこと、それは、心の柔らかさということです。心のしなやかさということです。

道備えー実を結ぶ
第二に、「実を結ぶ」ということが言われています。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(7~8)。それは、生活の中で、神のみことばに聴き従って生きよ、ということが勧められています。では、そのような心の柔らかい者となるために、そして、実を結ぶ者となるためにどうすればよいのでしょうか。それは、「わたしは道である」とおっしゃるイエス・キリストに心を開くというところに、その秘訣があるのです。

(前川隆一牧師)