主人は答えた。「怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。」              マタイ25章26節
 
  タラントンのたとえ話です。

5タラントン預かった僕、2タラントン預かった僕
 第一のこと、5タラントン預かった僕、2タラントン預かった僕、彼らは、主人からほめられましたが、何を褒められたのでしょうか。ポイントは、5タラントン預かった僕も、2タラントン預かった僕も、同じことばでほめられているという点です(21、23)。ですから、どれだけ儲けたかという量ではなく、どんな心で働いたかという彼らの内面、心を見て、主人は褒めたということです。

1タラントン預かった僕
では、逆に、1タラントン預かった僕の何を主人は叱責したのでしょうか。この主人、それは、父なる神様のことを表しています。その父なる神様のことを「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集められる厳しい方」、また、「恐ろしいお方」と思っていたというこの僕の心を悲しみ、嘆いたということでした。このたとえ、それは、直接的には、当時の宗教的指導者たちに向けて語られました。彼らが教える、律法を守ることによって救わるとの教えに従って生きようとすればするほど、ひとびとにとって、神様という存在は、越えることのできない壁のような存在になっていました。

キリストの招き
では最後に、このたとえ全体を通して、イエス様は何をわたしたちに伝えようとなさっておられるのでしょうか。それは、放蕩息子のたとえの兄息子のような神観をもって、せっかくの賜物、能力、資源を閉じ込めてしまっているわたしたちに、新しい神観を与え、実を結ぶ人生へと招いて下さっているということです。イエス・キリストを信じることを通して、わたしたちは、「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集められる厳しい方」、また、「恐ろしいお方」ではなく、愛をもって顧みて下さるお方と信じることができるのです。そして、そう信じて、わたしたちは、与えられた賜物、能力、資源を精いっぱい用いて、神と人とに仕えて行く者としていただくことができるのです。

(前川隆一牧師)

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