荒野
ヨハネがイメージしている、また、聖書がイメージしている荒野、それは、自然の荒野ということだけではありません。むしろ、人間がつくり出した荒野、それが、ヨハネが、また、聖書がイメージしている荒野でした。被害者として経験する荒野。それとともに、加害者としてわたしたちがつくり出してしまう荒野。それは、ヨハネの当時の人々の現実というだけでなく、わたしたちの現実でもあります。

ヨハネ
そのような荒野から、いのちの世界へと立ち返らせようとした。それが、洗礼者ヨハネでした。ヨハネは、荒野から、いのちの世界へと立ち返らせようとしました。それは、実行可能な思いやりを示すようにということでした。でも、それを実際に行うとするなら、困難を覚える。それが、わたしたちの現実です。


 では、どうすればよいのでしょうか。ヨハネは、「神の言葉が荒野でザカリアの子ヨハネに降った」と言われているように、上からのことばをいただいて語った人でした。また、ヨハネが授けていた洗礼は、後に行われるようになるキリストの名による洗礼を指し示していました。わたしたちの罪を赦し、神の子とするために、上から与えられた。それが、キリストの名による洗礼です。わたしたちは、上から力をいただき、いのちをいただいて、霊によって仕える者としていただくのです。

(前川隆一牧師)