わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
                             ルカ1章46節
 アリアの賛歌です。

マグニフィカート
まず、47節、マリアは、「わたしの魂は主をあがめ」と言っています。実は、マルチン・ルターが、このマリアの賛歌の聖書講解の本を書いています。ドイツ語では、「マグニフィカート」という題の本です。マグニフィカート、それは、「大きくする」、相手を大きくするという意味のことばです。マリアは、「わたしの魂は主をあがめ」と、主なる神様を大きくしました。

聖霊によって
第一に、マリアは、神様を大きくしました。では、何によってか。それは、第二に、聖霊によってでした。先ほどの47節、マリアは、「わたしは主をあがめ」ではなく、「わたしの魂は」と言いました。わたしが神をあがめるのではなく、わたしの魂が、わたしの心が、神をあがめてしまう、そうマリアは言ったということです。日本語のある訳では、わたしの魂が、わたしの心が、神への愛、賛美、喜びの中に、浮動している。浮き、動いている。そんな訳をしている聖書もあるようです。わたしの魂が、わたしの心が、神への愛、賛美、喜びの中に、浮き、動いている。何によってか、それは、聖霊によってということです。

あわれみによって
第一に、マリアは、神様を大きくしました。では、何を根拠に、マリアは、神様を大きくしたのでしょうか。それは、神のあわれみを根拠にして、ということでした(50、54)。あわれむと言うとき、日本語では、その人の気分によって、あわれんだりあわれまなかったりと、非常に不安定な感情のような印象を受けるかもしれません。けれども、聖書、特に旧約聖書において、この「あわれみ」ということば、それは、「真実」とか、「誠実」とも訳すことができることばが使われています。あわれみを根拠として、それは、イエス・キリストの十字架に表された神の人格的な愛を根拠としてということでした。

(前川隆一牧師)