そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。       マタイ15章28節
 

マタイ15章10~20節、イエス様がファリサイ派の宗教的指導者たちを非難、断罪された場面、21~28節、カナンの女性の信仰でについてです。

わたしの天の父がお植えにならなかった木
どうして、イエス様が、ファリサイ派の宗教的指導者たちのことを、「わたしの天の父がお植えにならなかった木は」とおっしゃったのでしょうか。確かに、イスラエルの民は、神様に選ばれた民、植えられた民でした。そして、外面的には、ファリサイ人たち、彼らは、その最たるものと見えました。けれども、イエス様からご覧になって、その生き方、歩みは、その根を引き抜いて、自分で別のところへ植え直してしまったような歩みに見えました(11)。彼らは、汚れは、外から来ると考えて、汚れから身を守ろうとする人々でした。そして、そのようにすればするほどに、ちょうど、溜め池にぼうふらがわくように、自分たちの内から出る汚れでいっぱいになっていました。

大きな信仰
第二に、カナンの女性の信仰についてです。最終的に、イエス様は、彼女に、「あなたの信仰は立派だ」とおっしゃいました。この「立派だ」ということばは、「大きい」とも訳せることばが使われています。その信仰の大きさとは、何を意味していたのでしょうか。それは、異邦人にも恵みを与えることができる大きな神様と信じる信仰でした。

十字架を指さす信仰
カナンの女性の信仰、それは、自分が大きくなるというより、イエス・キリストをお送りになった天の父なる神を大きくする信仰でした。そして、それは、十字架を指さす信仰でした。この点において、カナンの女性の信仰のできごとは、イエス様が、ファリサイ人たちのことを、「わたしの天の父がお植えにならなかった木は」とおっしゃったことと深いところでつながっています。イエス様がおっしゃった裁き、それは、最終的には、ファリサイ人の上ではなく、イエス様の上に下りました(ガラテヤ3章13節)。その死によって、イスラエル人だけでなく、異邦人も、天の父に植えられた者となる道を、イエス様は開いて下さったのでした。

(前川隆一牧師)