「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」 ルカ21章28節
「人の子が来る」、「『いちじくの木』のたとえ」、「目を覚ましていなさい」と表題につけられている箇所です。
信仰によって
わたしたちは、何によって、「身を起こして頭を上げ」ることができるのでしょうか。それは、第一に信仰によってです。みことばに対する信仰によってです。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(33)。わたしたちは、「決して滅びない」神のことば、みことばを聴きに礼拝にやって来るのです。そしてそのみことばによって、「身を起こして頭を上げ」ることができるのです。
希望によって
第二に、わたしたちは、希望によって、「身を起こして頭を上げ」ることができるのです。わたしたちは、希望によって、人間の努力やがんばりではなく、神からの希望によって、「身を起こして頭を上げ」ることができるのです。そして、神からの希望と言うとき、それは、神がその独り子をお与え下さったということから来る希望です。独り子キリストが、十字架で死に、わたしたちの贖いを成し遂げて下さったということから来る希望です。そして、それは、そのキリストが再びお出でになるということから来る希望です。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(27)。
愛に生きる
第三に、「身を起こして頭を上げ」る、それは、強さによって弱い人々をなぎ倒して行く生き方ではなく、愛し、仕えて行く生き方です。34節で、「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しないさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」と言われています。わたしたちは、心が鈍くなることに気をつけなければなりません。「身を起こして頭を上げ」る生き方、それは、心が鈍くなって傲慢にふるまう生き方ではありません。冷静であり、つつましく生きる生き方です。
(前川隆一牧師)