なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。                             マタイ21章32節
 
「権威についての問答」、「二人の息子のたとえ」と表題のつけられている箇所です。

権威についての問答
まず、前半です。祭司長や民の長老たちは、エルサレムの神殿の境内で教えておられるイエス様に、「何の権威があって、人々を教えているのか」と問い正しました。ガリラヤのいなかでなら、まだしも、エルサレムの、しかも神殿の境内で、すなわち、彼らのテリトリーで、「何の権威があって、人々を教えているのか」と問いただしたということです。彼らは自分たちこそ、聖書を知っている。聖書のみことばを行っている。自分たちこそ、権威者だと彼らは自負していました。その実、彼らは、誤解していました。

真の権威を与えるためにお出でになったキリスト
祭司長や民の長老たち、彼らは誤解していましたが、実は、イエス様こそ、ほんとうの権威を与えるためにお出でになったお方でした。それが、今日覚えたい第二のことがらです。マタイ9章6節で、イエス様は、「罪を赦す権威をもっていることを知らせよう」とおっしゃいました。わたしたちは、神の戒め、律法を守り行うことによって、完全に神様のみこころにかなうことはできないのです。そのわたしたちのために、身代わりに十字架で死んで、罪の贖いとなるために来て下さった。それが、イエス・キリストでした。わたしたちが歪んだ権威ではなく、正しい権威、ほんとうの権威をもって生きる者とするために、十字架で死ぬために来て下さった救い主。それが、イエス・キリストでした。

信仰
そこで、第三のこと、では、どのようにして、その正しい権威、ほんとうの権威を受け取ることができるのでしょうか。それが、今日の後半で言われていることがらです。32節。「なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」そう言われています。信じるということ。考え直して信じるということ。信じて従うということ。それが、神様の望まれる歩みであるのです。また、そのことを通して、わたしたちは、正しい権威、ほんとうの権威を受け取ることができるのです。

(前川隆一牧師)

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