=あなたが真のキリストの弟子となるために=

<福音書>マタイ41223

ヨハネが捕まり彼の働きが終わったことは、キリストご自身が世にご自分を現わす時が来たことを意味いたします。そのためイエス様は、最初の宣教地であるガリラヤへ向かわれました。

イエス様の第一声は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(17節)です。

イエス様はこのことばによって、人間の側の努力によって、人は神の国に近づくことはできないことを語っておられます。神に近づくことにおいて、人の力はまったく無力です

しかし、神の側から近づいてくださるその行為は、人間の側の応答は要求します。その応答とは<罪の悔い改め>です。

罪を悔い改め、近づいて来てくださった神の国イエス・キリストを受け入れる者を、主は弟子として用いられるのです。

イエス様は、まずペテロとその兄弟アンデレを呼ばれました。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』。クリスチャンは、人間をとる漁師にならなければなりません

そのために、私たちに求められるのは、イエス様について行くことだけです。イエス様の二人を招くことばには強い力がありました。「今すぐ、無条件にわたしについて来い」と言われたのです。

私たちは、ペテロとアンデレが網を捨てイエス様に従うためには強い決心が必要だったと想像します。 しかし、ここで強い決心をもってその場にいるのは、イエス様の方です

イエス様は、彼らが人間をとる漁師となるためのチャレンジを、ご自分に課しておられます。

ただイエス様は、彼らに二つのことを要求されました。

一つは、“すぐに”従うことです。遅れた服従は不服従の別名です。イエス様は、ペテロとアンデレの二人に、確固たる信仰に基づく弟子としての服従を求められたのです。

もう一つは、網を“捨てる”ことです。何かを捨てることなくして、キリストに従うことはできません。それは決して不利益にはなりません。

大切なものを、信仰によって捨てることは、信仰によって、それ以上のものを獲得するからです。

イエス様は、あなたに呼びかけておられます。「わたしについて来なさい。あなたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と。

あなたは、その呼びかけにどのように応えられるでしょうか。もしあなたが、あなたの手で古いものをしっかりと握りしめているなら、神が差し出しておられる新しいものを掴むことはできません。

信仰者の手は、差し出された神の恵みを掴むための手なのです

また信仰者は、人をすなどる道具である“信仰生活”をいつも繕わなければなりません。

それは、常にみことばに聞き、心を常にイエス・キリストに向け続けることです。それが、キリストの弟子の姿です。

Write a comment:

*

Your email address will not be published.