2024年01月21日(日)

=あなたが神の愛を知る者となるために=

<旧約聖書>ダニエル3130

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、エルサレムからバビロンへ捕囚の民として連れて行かれました。しかし、彼らはそこに神の意志を見ていたのです。

彼らは、バビロン捕囚という悲惨な出来事の中にあっても、それは神の御手の中で起きたことと理解いたしました。

だから、バビロンの王が大きな金の像をひれ伏して拝むことが求めても、毅然として拝むことはなかったのです。拝まない者は「火の燃える炉の中に投げ込まれる」と脅されても、彼らは屈しませんでした。

三人は、自分たちが信じている神をよく知っており、神が守ってくださることを堅く信じていたからです。

神に対する正しい知識は、恐れを締め出します。“恐れのない信仰”。それが、神があなたに求められる信仰です。

三人はことばを続けました。『たとえそうでなくても』。

このことばは、信仰とは何かをよく知っている者だけが言えることばです。

そのことばは、無条件の信仰を表わすことばです。人はいろいろな条件を持ち出します。「私の病気が癒されるのなら信じよう」と。それは条件付きの信仰です。条件付きの信仰は、不信仰の別名です

でも私たちも、心のどこかに条件付きの信仰が芽を出すことはないでしょうか。祈っても祈っても祈りが聞かれないと、神に不信感を抱くことはないでしょうか。

しかし神の本質を教えられた者は、どのような状況に置かれても神から離れません。そのような信仰から妥協のない態度が生まれるのです。

『たとえそうでなくても』。このことばは、あなたにも神を知ることを求めます。私たちは祈りますが、示された祈りの答えの中に、神の恵みを見い出すのが信仰者の姿勢です。

そのことばによって、過去を振り返るとき、神に信頼すべきである多くの証拠を見せられます。

そのことばを通してみことばに聞くとき、キリストを私の罪のために十字架につけてくださった神の愛がいかに優れたものかを教えられるのです。

イエス・キリストを知ることは、あなたを“主にあって勇敢な者”とするのです。

そのようなあなたが、神の栄光を現わす信仰者として強くされるのです。