=イエス・キリストをしっかりと見つめるために=

<福音書>ルカの福音書19110

取税人ザアカイはイエス様を見たいと思い通りへ出ましたが、人が多くて見られず、前方にあるいちじく桑に登りました。取税人は大変嫌われていました。

ザアカイは、金持ちになりましたが淋しかった。人々からは白目で見られる。それは割り切ったつもりでした。

ある哲学者は「人の心には、神以外の何ものをも埋めることのできない空虚な空間がある」と言いました。

さて木の下でイエス様は、ザアカイを呼ばれました。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊るから』。

ザアカイは、イエスという男を見たかっただけです。でもイエス様の方で、ザアカイに個人的に興味を持たれたのです。ザアカイは急いで降りて来て、イエス様を自分の家に迎えました。

イエス様に心を触れていただいた者は、すぐに従う意外に道はありません

しかし人々はみな、「イエスは罪人の家に入って客となった」とつぶやきますが、ザアカイは、その声に抗するように立ち上がりイエス様に向かって宣言しました。

『財産の半分を貧しい人たちに施し、だまし取った物は四倍にして返します』。ザアカイは明らかに変えられました。彼は、イエス様から神の愛の素晴らしさを教えられたのです。

ザアカイは「お前は罪びとだ」と言われて、「その通りです」と言ったのです。立ち上がって自分の罪を悔い改め、救い主を心にお迎えしたのです。

人がイエス・キリストに会うとは、神の光を通して自分の心を見つめることです。その時、人は自分の罪深さを教えられ、神の愛の大きさに気づくのです。

イエス様は言われます。『人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです』。すべての人は神の前に罪びとであり、イエス様に見い出されなければなりません。

私たちも日々、罪を犯します。私たちもイエス様に見いだされ続けなければなりません。

イエス・キリストに見い出されるとは、あなたが“ザアカイになり続ける”ことです。イエス様に関心を持ち、見たいと思って高い木に登る。

主はそのような者に、個人的な名をもって呼びかけられます。「わたしは今日、あなたの心に入ることにしている」と。

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