2023年10月1日(日)

=神が望まれる者となるために=

<福音書>マタイ212332

イエス様は、やって来た祭司長や長老たちに質問を返されました。『ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか』。

彼らは「神から」とも「人から」とも答えられず、「分かりません」と言ったのです。彼らは民衆を恐れていたからです。 祭司長や長老たちは、ここでも神の愛を掴み損ねました

私たちは、そのような祭司長や長老たちに、中途半端だとの思いを抱きます。彼らに徹底して神に仕えるとの態度が見られないからです。それで彼らは、神の思いからずれてしまった。

それでイエス様は、一つのたとえを話されました。父親から兄と弟が、ぶどう園に行って働くように言われた。兄は「行きたくない」と答えますが、後で思い直して出かけた。

弟は「行きます」と答えたけれど行かなかった。それでイエス様は、「二人のうちのどちらが父親の願ったとおりにしたか」と問われます。

ここでイエス様は、「父親の願ったとおりにすること」を大切なこととして話しておられます。

祭司や長老たちは表面的には「私は神に正しく仕える者です」と振舞いますが、彼らの心には「悔い改めなさい」とのヨハネの叫び声は響かなかったのです。

でも罪人と呼ばれる人々は、悔い改めてバプテスマを受けたのです。イエス様は明らかに、「罪人と呼ばれる者の方が、神の願ったとおりにしている」と言われています。

そして、そのためのキーワードが“思い直す”です。祭司長や長老たちは、人々がヨハネの所に行って罪を悔い改め、バプテスマを受けているのを見ておきながら、悔い改めようとしなかったのです。

そして、もう一つのキーワードが“信じる”です。ヨハネが来て示した義の道、それはイエス・キリストです。イエス様は、祭司長や長老たちもイエス・キリストを信じることを望まれたのです。

イエス様は私たちにも父なる神の願い通りに生きることを勧めておられます。神が私たちに願っておられること。それは、イエス様を心から愛し抜くことです。

そのように、私たちがイエス様を愛して生きる時、そこに神の教会がより堅固なものとして築き上げられるのです。