2026年09月06日(日)
=あなたがより主に従う者となるために=
【要約】<旧約>出エジプト記11章1~8節 & 12章29~41節
Ⅰ、神の忍耐 : 主はモーセをファラオのもとへ何回も送り続けられました。主は裁きを急がずに、ファラオの心が開かれるのを待っておられたのです。
Ⅱ、ファラオの頑なさ : “主の忍耐”にも係わらず、ファラオはますます頑なになり、イスラエルの民を去らせません。
ファラオは自分の正しさに固執して、主のことばに従おうとしませんでした。自分の正しさに固執する者は、みことばを正しく聞くことはできません。
主のみことばは、それを聞く者に変わることを要求します。主のみことばは、それを聞く者の至らなさ(罪)を指摘します。 主は頑なな者を見て泣いておられる。
あなたの家族のために流される“神の涙”を見てください。あなたの友人のために流される“神の涙”を見てください。自分のために流された神の涙を知る者は、他者の救いのために涙を流す者へと変えられるのです。
Ⅲ、最後の災い(神の涙) : ファラオは、最後まで主に反抗的な姿勢を崩さなかった。そうして主は、最後の災いとして「人のいのちに触れる災い」を決意されました。それは主の悲しみの決断です。ここに私たちは、神の二種類の涙を見ます。
第一の涙は、ファラオのために流された涙です。主はファラオをも、救いの恵みの中に加えたいと願っておられたのです。にもかかわらずファラオは、主への頑なな態度を変えず悔い改めなかった。
悔い改めない者には裁きが及びます。でも主は裁きを喜ばれません。だから主はファアオのゆえに悲しまれた。主に心を閉ざす者には、天の御国へ通じる道も閉ざされるのです。
“神の代弁者”であったモーセには、主の悲しみが痛いほどよく分かる。モーセの怒りには、神の愛に応えないファラオへの“神の無念さ”が詰まっています。
主は最初から、イスラエルの民をエジプトから導き出すことを計画されていました。ファラオがどんなに心を頑なにしても、主の計画は揺るぎません。
ファラオは、すべてのことが自分の思い通りになると思っていた。そこにファラオの罪があったのです。
主の計画は“愛の計画”です。主はすべての者に、天の御国への道を開かれます。しかしファラオは、自らの意思で天の御国へ入る門を閉ざしてしまった。主は、そのようなファラオを哀れに思われたのです。
第二の涙は、ご自分のひとり子のいのちを罪人のために差し出すことを覚悟された涙です。 主はエジプトのすべての長子を殺す決意をされましたが、それは後に、ご自分の長子(イエス様)のいのちを差し出す予表でした。
エジプトのすべての長子が殺されましたが、イスラエルの家は、門柱に塗られた子羊の血によって裁きを免れました。その出来事は、後に起きるイエス・キリストの十字架の死を表しています。
イスラエルの民の家に塗られた過ぎ越しの血は、十字架を赤く染めたイエス・キリストの血であり、エジプトに起きた長子の死は、神のひとり子(イエス様)の死です。そこに主の裁きの痛み(神の涙)と救いの決意(神の愛)が、すべての人々に提示されています。
Ⅴ、今も流れる神の涙(私たちの使命) : その事実を、今も私たちに語り伝えているのが聖書のみことばです。みことばには“人を変える力”があります。
主はあなたを変え、あなたによって人を変えたいと願っておられます。あなたは、主のみことばを“どこで/どのように”聞いていますか。
礼拝説教の中で、日々のディボーションの中で、祈りの中で、また他の信仰者との交わりの中で、主はあなたに語りかけ、あなたを用いるに足る者としてつくり変えようとされています。
あなたは変えられねばなりません。神が今も、涙を流しておられるからです。神の涙、それはあなたの家族やあなたの隣人の救いを願う涙です。
私たちの周りにおられる方々の救いのために、私たちも涙を流さなければなりません。神の涙が分からない者は、他の人の救いのために涙することはありません。
その方々が、ファラオのような頑なな心から抜け出せるように、私たちは“神の涙”を思いつつ、イエス・キリストの死によって示された福音を語り続けるのです。