=与えられた賜物を正しく用いる者となるために=

<福音書>ルカの福音書16113

イエス様は弟子たちに“不正な管理人”の話をされました。

管理人の仕事は、主人の財産を適切に使って増やすことです。ところが、この管理人は、主人の財産を乱費して辞めさせられ、仕事と住まいを同時に失うことになりました。

そこで思いついたのが債務証書の書き換えです。債務者を呼び出して、まだもう少し管理者である立場を利用して、債務を少なく書き換えさせました。これもまったくの不正です。

でも、主人はこの管理人を褒めています。何故、褒めたのでしょうか。8節「主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた」。

イエス様は、管理人の不正な行為を容認されたわけではありません。イエス様は、抜け目なく知恵を用いること自体を褒めておられるのです。

イエス様は、光の子である私たちに「与えられている賜物を賢く使って、神様の栄光を現しなさい」と言っておられるのです。

9節「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」。 “不正の富”とは何でしょうか?それは、自分のものではない財産です。

世のすべては神様のものです。私たちに与えられた才能も神様からのものであり、私たちは管理を任されているだけです。任されている以上、それを神様の栄光を現すために用いることが期待されています。

しかし人は、自分の才能を用いて新たな財産を獲得すると、その新たな財産は自分のものだと思い込み、与えられている才能を、ますます自分のためにだけに使おうとする。

イエス様は、それが「主人の財産を乱費することだ」(1節)と言われるのです。

言い換えれば、私たちは、与えられた賜物を用いて、他の人にイエス・キリストを紹介して、その人の魂を獲得しなさいと言われています。それが、「不正の富で、自分のために友をつくること」です。

人は、この世での自分の栄光を求めながら、同じ心で神様を褒めたたえることはできません

イエス様は、中途半端は嫌われます。「わたしにのみ、徹底的に仕えなさい」と言われます。

そのような者を、“富がなくなったとき”(世を去る時)に、彼ら(10節:三位一体の神)は、天の御国に迎えてくださるのです。

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